お雑記。
もちょっと気軽に日記をつけたい。
アカウントだけ取得して、特に活用できていないnoteで何か書こうかな?
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この世はしょせん空虚なんだから、悩み苦しみも錯覚に過ぎないんだよ。般若心経にそう書いてある。
「もっと気楽に生きたいね」って観音様もいってるんだろ。なら、そうするしかないかなと思って。
絶望キャラメル、よかったよね〜としみじみ思っている(以下、絶望キャラメルの地味なネタバレがある)
絶キャラは、さとり世代×仏教モチーフという、正しくさとりのためのさとり小説だった。
冒頭の流れるような長文はお経のイメージかな?
しかし、現代日本は末法世なのか。納得せざるを得ない。
また、ラストシーンは間違いなく「甘露を飲む」オマージュ(パロディ?)ですし。
仏教において、「甘露を飲む」とはさとりへの到達を意味するわけだから、まさにさとり(世代)がさとり(の境地)に辿り着いたわけで。
いやあ、見事な着地だなぁ。拍手喝采ものですよ。
実は、読み終えた直後はこの構成の意図に気づいてなくて、え、これで終わり?とモヤッとしたものだけど。鈍くてごめん。
気づいてからは逆に、本文中に散りばめられた数々の駄洒落(👈これがまた最高のセンスなんだよなぁ……)は最大のヒントだったのか!とまで思った。たぶん違う。
この伝統的な甘露という言葉を、訳教僧たちは、「アムリタ」という、甘く密のような味の食物の訳語として用いたのである。
アムリタとは、仏典の注釈書によると、さまざまの苦悩を癒し、長寿をもたらし、死者さえも復活させる甘い霊液であり、常に天人たちはこれを食しているといわれ、いわば不老不死をもたらす霊薬のようなものである。
もちろん現世を苦に満ちた迷いの世界と捉える仏教の世界観にあっては、現世での不死などというものを願うはずがない。
仏教でいう不死とは、いつまでも死なないということではなく、死を(正確には生死を)超越するということであり、言葉をかえれば生死の輪廻から解脱すること、涅槃にいたるということであろう。
生活の中の仏教用語 - [160]
思いがけず、アムリタのタイトルのヒントも得られたのであった。良かったじゃん。
(上記引用は大谷大学さんのHPからお借りしました)
(リンク埋め込み済み)
というようなことをちょろっと書いて満足したので、本日はもう寝ます(() ˘ω˘ )スヤァ…
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余談
今は戒書封殺記をちまちま読み進めているのだけど、これを中学生の時に読んでいたら確実に四海統馬にオチていたな、と思う。
統馬さん、いまいち好みのタイプとは違うんだけど、なぜか好き。